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阿佐田哲也『ドサ健ばくち地獄』(角川書店、S59)

阿佐田哲也『ドサ健ばくち地獄』(角川書店、S59)

「麻雀放浪記」シリーズのスピンオフ。天涯孤独のばくち打ちドサ健とその周囲に群がるばくち打ちのお話。勝ったり負けたり、誰からカモられるか敵対関係の一方、結局こいつらとしか遊べないというゆるい仲間感。悪漢小説の本領が出ています。

登場するばくち打ちは誰もが一定の技量を持ってイカサマ上等、周囲もそれをわかっていて高度な心理戦が展開されます。イカサマしようがなにをしようが、カモになるやつがいればそれでいい、と博打の本義を忘れないおおらかな姿勢。

胴元が儲かる構図とそれに固執する者、一方で主催者の義務としての廻し銭制度、貸付を回収できるか腕が問われるところです。

【本文より】
◯金のケリは金でつけろ。それが一番簡単だ。金でケリがつけられないから負い目が大きくなっていくんだ。殿下、そこがお前にはわかっとらんよ。

◯「馬鹿いうな。ばくちのプロなんて居るもんか。コロしたり、コロされたり、俺はしのぎのプロなんだよ」

◯考えてみれば、北抜き麻雀に限らず、ばくちは、止めどきが大事なのである。止めようと思ったときに、すっと立てる人は、大怪我はしない。

◯考えてみると、勝負は常に、トップと、次位以下の三人がおり、その三人が諒承しなければ、決着がつかないのである。」

瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書、2014)

東大法学部から裁判官となったエリート司法官僚の内部告発。組織のありように疑問を感じた著者は15年に渡る苦悩の末に退官、大学教授へと転身します。

その官歴は東京地裁を皮切りに、大阪地裁、沖縄地裁、最高裁判事と紆余曲折を経ながらもトップ層に登っています。

裁判所には厳密なヒエラルキーがあるとのことで、事務総局の意に逆らって地方めぐりをさせられたり、「もう関東には戻れないよ」と事実上の退職勧告を受けることが裁判官にとっての最大の恐怖であるようです。

・最高裁長官、判事(14名)
・高等裁判所長官(8名、地域で序列あり)
・地裁所長(東京、大阪)>家裁所長(東京、大阪)=東京高裁裁判長>大阪高裁裁判長
・地裁所長(その他)>家裁所長(その他)、高裁裁判長
・高裁支部長、地家裁大支部の支部長
・地家裁裁判長、高裁の右陪席
・高裁の左陪席、地裁の右陪席
・地家裁の左陪席


著者は途中ドロップアウト組ではなく、トップ層である最高裁判事にまで登っています。それだけに法曹関係者ならわかるでしょ?とばかりにニヤリとする皮肉もちりばめられていますが、それが分からない我ら下々の民にしてもゴシップ的な興味を満たされます。

裁判官とはいえ結局は最高裁判所事務総局をトップとする官僚組織であり、地方巡業の裁判官(裁判官になれている時点で彼は同世代のトップエリートです)も「次こそは関東に帰る」という希望を胸に日々を過ごしているのだとか。

地方で就職した私にはわかりませんが、全国転勤ありの会社には共通の悩みであり、この構造が上ばかり気にする社員を生み出すのでしょう。


【本文より】

○良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くから、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまるところを知らないということになりやすい。(p.50)

○私の知る限り、やはり、良識派はほとんどが地家裁所長、高裁裁判長止まりであり、高裁長官になる人はごくわずか、絶対に事務総長にはならない(最高裁判所事務総局のトップであるこのポストは、最高裁長官の言うことなら何でも聴く、その靴の裏までも舐めるといった骨の髄からの司法官僚、役人でなければ、到底務まらない)し、最高裁判事になる人は稀有、ということで間違いがないと思う。(p.54)

木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書、1981初版、2002 45版)

大正生まれの物理学者で名大助教授を経て学習院教授、のち学長となった著者による作文指南。

「理科系」と銘打つココロは、文学的ないわゆる作文の技巧ではなく、簡潔にして要を得たレポートをまとめる心構えを説いたもの。

冒頭で事例として紹介される米国の小学校の作文クラス、その事実の描写を重視する思想と、みんなの気持ちや感覚を重視する日本の叙情的な作文指導との違いが印象的です。


【本文より】

◯(米国小学校の言語技術教育の教科書の例)サンディーという女の子が、宿題で「紙の歴史」という題で250語のレポートを書かされることになる。250語で紙の歴史一般を書くのはとても無理だと気づいて、彼女はパピルスに主題をかぎる。(中略)日本の綴り方とはまるでちがう〈作文〉教育のやり方に衝撃をうけたのを今も記憶している。(p.20、要約)

◯論文は読者に向けて書くべきもので、著者の思いをみたすために書くものではない。序論は、読者を最短経路で本論にみちびき入れるようにスーッと書かなければならないのである。モヤモヤや逆茂木は禁物で、著者が迷い歩いた跡などは露いささかもおもてに出すべきではない。(p.87)

立川談春『赤めだか』(2008、扶桑社)

立川談春『赤めだか』(2008、扶桑社)を読む。

東京生まれの著者は幼い頃から競艇選手に憧れ、競艇場に通い続けるも身長が伸びすぎたため選手になれず。失意の日々に談志の落語に出会い、高校を中退して弟子入り。

落語半生記といった趣です。

談志の無茶振りにつきあって築地で一年働いたり、年の違う兄弟弟子と苦労を共にし…。

タイトルになっている「赤めだか」は、談志家の金魚のことで、いくらエサをやっても大きくならないために金魚じゃなくて赤めだかじゃないのか、と弟子たちがささやいたことに由来するそうです。

【本文より】
◯十分ほどしゃべって、談志(イエモト)は云った。
「ま、こんなもんだ。今演ったものは覚えんでもいい。テープも録ってないしな。今度は、きちんと一席教えてやる。プロとはこういうものだということがわかればそれでいい。よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ。教える方には論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。」


◯後年、酔った談志(イエモト)は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」


◯改めて、談志(イエモト)は談春(ボク)を見て云った。
「俺は忙しい。昔ならともかく今は覚えるための教材も機械もたくさんある。だから下手な先輩に教わる必要はないんだ。名人のテープで覚えちまえばいい。覚えたものを俺が聴いてやる。直してやる。口伝を否定はしないが、教える側の都合にお前たちの情熱を合わせる必要はないんだ。恵まれた時代なんだ。」

カザンザキス『その男ゾルバ』(1967、恒文社)

カザンザキス『その男ゾルバ』(1967、恒文社)を読む。

原著は1946年の現代ギリシャ小説。現代東欧文学全集に収められています。

主人公「ぼく/私」は友人に「本の虫」と呼ばれる有閑知識人。祖父の遺した鉱山を相続し、その経営のためクレタ島に渡る。道中の船で無骨な老人ゾルバと出会った「ぼく」は、なぜか意気投合して現場監督として雇い入れ、クレタ島での生活を共にする。

理想主義のお坊ちゃんと現実主義の労働者ゾルバ。静かななかにもユーモアあふれる掛け合い。(それ自体が狙いのウッドハウスほどではありませんが)

【本文より】
◯「わしも人間じゃねぇかね。盲目ということですがな。人と同じように、わしも、まっさかさまに、みぞへ落っこちたわけでさあ。つまり結婚しましてね。人生も落ち目を選んだってわけで。一家のあるじになって、家を建て、子供をつくりましたあ。ーそいつが面倒の始まりで。しかし、サンドゥリ(楽器)のお蔭で!」

◯「はっきりしておくんなせえ。もしおまえさんがわしに無理じいなさると、何もかもおしめえだ。こういうことについちゃ、わしは男だというこたあ、覚えておいてくだせえ」
「男だって?どういう意味だね?」
「そりゃ、自由!ってことでさあ!」

◯まるで、死が存在しないように行動することと、一刻一刻、死を思いながら行動することは、多分同じことなのだろう。しかし、ゾルバがたずねたときには、私にはわかっていなかった。

◯私の祖父は、生涯、村を出たことがなかった。カンジアへも、カニアへも行ったことはなかった。
「なぜ、そこへ行かなければならない?カンジアやカニアの町のものが、この村を通るじゃないか。カンジアやカニアがわしのところへ来るというのに、なぜわしがそこへ行く必要があるんだ?」といったものだった。
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