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商人の心得 トケイヤー『ユダヤ5000年の教え』

トケイヤー『ユダヤ5000年の教え』を読んだ。

ユダヤ僧である著者がユダヤの格言をまとめて解説したものだが、ときどき「酋長の繰り言」などと言われる『論語』のような雰囲気もありつつ、それでも商売っ気が強いユダヤスタイルなので現代社会によくフィットする。

資産形成について考えさせるもの。
これぞ商人の極意といえる。

◯男はまず家を建て、野原にブドウを植えてブドウ園をつくり、そのうえで、妻を迎えるべきである。この順序を逆にしてはならない。

◯あなたがもっているものを、それを必要としている人に売るのはビジネスではない。あなたが「持っていないもの」を、それを「必要としない人に売る」のがビジネスである。
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ブルース・ローレンス『コーランの読み方』(池内恵訳、ポプラ新書、2016)

ブルース・ローレンス『コーランの読み方』(池内恵訳、ポプラ新書、2016)

米デューク大イスラーム学教授がコーラン成立の背景、思想発展を平たく説いたもの。

ムハンマド本来のイスラーム、分派の形成、テロ思想の構造など興味深い切り口で『コーラン』の背景に迫っています。

著者の幅広い知識から、イスラームにおける啓典の民の位置付け、中世のムスリム詩人の参加など、豊富な例が引かれ大変興味深いところです。

ムハンマドの没後、数世代を経て『コーラン』は韻律を重視した「詠まれるべきもの」として整理されていきますが、現代のラップ的なおもしろいもの、カッコいいものとして語り継がれたかのようにも思われます。


【本文より】
◯太陽を見つめられるものは多くはない。しかしより平凡な探求者でさえ、言葉による信仰と知への探求には限界があると認められるし、認められなければならない。

◯どの解釈者も、選ばなければならない。誰もが解釈の原則に従わなければならない。解釈する者が誰であろうと、いつどこでコーランに取り組むにせよ、選択されるテーマや問題、重点の置き所は似通っている。最大の相違は、イスラーム的な世界観の規範を主張する際に、コーランのテキストを狭く取るか広く取るかの違いである。

〈『コーラン自身』による言及〉
◯あらゆる書物を超越する「書物」から、聖コーランは啓示された。

◯憐れみ溢れ、情け深い神の名において
アッラー以外に神はなし 神は一にして、並ぶものなし
「彼こそ統べたもう
彼こそ栄光を一身に集め」
(第64章「騙し合い」第一節)

〈サー・サイイドによる「婦人」章の解釈 → ムスリムの結婚は「愛」ではなく「正義」に基礎を置く〉
◯とても孤児たちに公平にできはしないと怖れるのであれば、お前たちを喜ばせる女たちから二人、三人、四人と結婚してやれ。しかし平等に扱ってやれないなら、一人にしておけ。

〈訳者解説〉
◯イスラーム教はあくまでも、人間の側がどのように感じるかどうかとは無関係に、絶対の力を持つ神が人間に命令するものだ。人間はそれを信じて生きていく以外に選択肢はない。

秋月龍珉『誤解された仏教』(講談社学術文庫、2006 / Kindle版 2014)

秋月龍珉『誤解された仏教』(講談社学術文庫、2006 / Kindle版 2014)

大御所、秋月先生が仏教本来の思想と現状とのギャップを解説したもの。日本式の葬式仏教とブッダの思想。ヒンドゥ教の輪廻の思想と仏教の無霊魂論。興味深いトピックが並びます。

仏教者と仏教学者との違い。解説者たる後者が仏道を説くことはできず、悟りを得た前者のみが仏道を説くことを許される、とはブッダの考えでもあったそうです。

臨済禅師(『臨済録』)が言われたとおり、答えは常に自己にあるという立場です。これを外に求めるといつまでも答えを見いだせず、ゆえに「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」という警句が出てきます。


【本文より】
◯仏教は無神・無霊魂論なのだから、「神も仏もあるものか」などというような仏も認めない。私はひたすら「摩訶般若波羅密多(悟りの智慧の完成)は仏道の第一義なり」ということだけを信じ、それだけを提唱する。

◯自我を「空」じると、すべてが自己になる。天地万物の自然も、他人も、いや敵でさえも、自己である。そうした「智慧」はただちに「慈悲(無限の愛)」として働く。それが「常不軽菩薩行」となる。ここに大乗仏教の真髄がある。そこには「争い」はない。他を生かす行と祈りがあるだけである。

◯禅仏教は、常に「即今・此処・自己」の立場だけに立つ。そして前世をいい来世を問題にするのは、絶対現在の心のゆるみだと自省する。

◯仏教では、学者が「真」を求め、道徳家が「善」を求め、芸術家が「美」を求め、宗教家が「聖」を求めるのも、すべて外にイデー(理念)を認めて求める限り「餓鬼」だと見る。

◯比丘はただ万事は要らず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける(良寛)

◯仏法には〈無我〉にて候

◯仏教の中にも、禅のように自己の外に絶対者を認めない教えと、親鸞教のように阿弥陀仏を立てる教えとがある。

Kindleセール 講談社学術文庫〈仏教抜粋〉

Kindleセール 講談社学術文庫

「電子書籍の司書」さんで、講談社のセール情報が出ていたので整理。

学術文庫361件がセール対象となっています。
ものによりますが、定価が高いので50%ポイント還元を加味して中古本と同じくらいの価格帯になります。

岩波版より詳しい解説の学術文庫。人文系に圧倒的に強く、仏教ものや中国思想はおおむねカバーできます。

今回は仏教ものを抜粋。


■原始仏教
荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』
 → 原始仏教の経典解説。簡素な生活と解脱への道。

田上太秀『「涅槃経』」を読む ブッダ臨終の説法』
 → 因縁と業、仏性について。最終講義として整理された初期仏教の思想解説。

秋月龍ミン[王民]『誤解された仏教』
 → 原始仏教の受け入れ過程における変容について。正伝の仏法=「無神論・無霊魂論」の立場とは。


■日本仏教

竹村牧男『日本仏教 思想のあゆみ』
 → 聖徳太子から南都六宗、最澄・空海、鎌倉新仏教に至る日本仏教の発展と、日本人の思想の変遷を辿ったもの。世界観と死生観。時代背景と仏教思想。


宮坂宥勝ほか『密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈』
 → 世界の構造を語る密教経典の解説。「大乗仏教の真髄」としての密教の位置とは。なぜ密教経典は秘された奥義なのか。
 ”勝上の大乗の句と 心続生の相とは 諸仏の大秘密にして  外道は識る能わず 我れ今悉く開示せん 一心にまさに諦聴すべし”


佐藤弘夫『日蓮「立正安国論」全訳注 』
 → 末法の世、日蓮の改善策。前半で日蓮自身や社会背景の解説、後半が解読となっています。


夢窓国師『夢中問答集』
 → ”7朝の帝師”と称され北条家、足利家、後醍醐天皇の帰依を得た禅師による仏道の要諦。欲心を捨てること。


大谷哲夫『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」』
 → 詩人・道元の作品(偈頌(漢詩)、肖像画の賛)を通じ、さとりの深奥を探るこころみ。

叢小榕編著『老荘思想の心理学』(新潮新書、2013)

叢小榕編著『老荘思想の心理学』(新潮新書、2013)

福島県のいわき明星大学教授を務める著者が、同大学の心理学者との会話から老荘と現代心理学の類似に気づきまとめあげたもの。元東北大教授の國分振氏などが共同執筆者として名を連ねています。

内容は道家の古典のエピソード紹介→心理学理論に照らしたコメント、という構成になっており、新潮新書らしくサラッと読めます。かなりあっさり風味なので、古典好きだと物足りない感が強い印象です。

例えば『老子』の「足るを知る」を取り上げ、心理学における「欲望」の位置づけについて解説しています。

【本文より】

◯欲を出すことより大きな罪悪はなく、足ることを知らぬことより大きな禍はなく、厭きなくむさぼることより甚だしい不幸はない。ゆえに、足ることを知って満足すれば、常に満足である。(『老子』第64章)(p.128)

◯心理学では、欲求は欠乏や必要を満たしたい、という緊張状態だと考えられている。行動することによって、欠乏や必要が満たされれば、緊張は解消するが、続いて新たな欲求が生じ、その緊張を解消するため、また行動が生起する。この際限のない欲求による緊張の連続こそが、悩みのもとである。(p.130)
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望月もちお

Author:望月もちお
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