金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』(三一書房、1978)

金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』(三一書房、1978)

朝鮮生まれの評論家が戦前から刊行当70年代までの「朝鮮人」のありようを語ったもの。自身朝鮮人であるとの誇りを持ち、その立場から堂々と朝鮮人らしくあれ、擬似日本人になるな、と呼びかけています。

明治時代の日本に亡命した朝鮮知識人、併合後の朝鮮人労働者、「創氏改名」、日本の敗戦と朝鮮の解放、帰化、芸能、2世3世の同化傾向と幅広のテーマを取り扱っています。

著者は民族をひとくくりに朝鮮人としていますが、歴史的にはややこしいところで、帝国時代に朝鮮籍であった者が韓国成立後に韓国戸籍に記載されると「韓国」籍となりましたが、手続きせずそのまま「朝鮮」籍となっている者も現存します。北朝鮮国籍ということではなく、いわゆる大日本帝国の朝鮮戸籍に記載のあった者であり、事実上、無国籍の状態です。

本書では就職先に戸籍を提出できずに大手に入社できない、などのエピソードが出てきますが、現代でも事情はかわらず、戸籍がないと身元証明書が発行できず役所で揉めたり、会社に韓国籍だと知られたくないから住民票の本国名を消せともめたり根が深いものです。

危なげなタイトルですが、きだみのる「きちがい部落」シリーズと違って図書館で貸出禁止にならない理由があります。

政治色が強く、日本人評論家がなかなか言及できないテーマですが、著者は同胞とあって自己の見解を明言しています。

【本文より】

◯在日朝鮮人が、「日韓併合」以来、その奪われた民族の主体性を取り戻すための一つの方法として、日本名(通名)ではなく、朝鮮名(本名)を名のるというのは本質的に正しい。」

◯在日朝鮮人の「日本名」 − その極端な場合は、当人が朝鮮人(あるいは韓国人)でありながらも日本人のように振舞うことさえある。それ故に外見だけで朝鮮人(韓国人)だか日本人だかわからないこともある。つまり、二つの顔を持った怪しげな存在となる。[中略]それだけに、それは二重写しのぼやけた人間像として曖昧な謎を残したり、情況によっては偽称の種になったり、変身の隠れみのにもなるのだった。

◯芸能評論家の某氏は言っている。「ファンは張本勲選手や吉屋潤が『朝鮮人』だからといって、差別や偏見の目では決して見ない。そのプレーに日本人と同じ声援を送っている。かれらは朝鮮人であると主張することによって、差別や偏見とは無縁の、日本人と同じところに生きているのである。そのひとことからもわかるように、日本人の大部分は、朝鮮民族に差別感情など抱いていない。ただ、かれらが誇りを棄て”擬似日本人”になろうとするとき、うさんくさい目を向けるだけである」

◯日本の進歩的な評論家・竹中労は、朝鮮人の若者たちの自己喪失の姿に対して、次のような痛烈な忠告を述べている。
 「差別と偏見、それは、君たちが朝鮮人として、より正確に言えば擬似日本人として、私たちの国に生きているためなのだ。…くりかえして言う。同化しようとすれば、かえって差別は深刻になるばかりだ。朝鮮人であることを隠したり、日本人もどきの朝鮮人であろうとすることは、自らの劣等を認知することである…」
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岡谷公二『原始の神社をもとめて』(平凡社、2009)

東大文学部で美術史を選考した著者は大学教授として美術を講ずる傍ら柳田國男、民俗学の研究にも着手。古神道の面影を残す沖縄のウタリに魅せられ、半世紀にわたる沖縄通い、やがてその源流を韓国済州島に見出す。

1929年生まれの著者が80歳で纏め上げた新書、「原始の神社」を求め沖縄から済州島へ。古代史における新羅、百済の影響。

伊勢神宮との関連について言及した箇所が特に興味深く、論文もいくつか紹介されているのでこれを起点に研究を深めるのも面白そうです。

神宮近く、五十鈴川に沿う韓神山は神官の墓地だったところで、大正時代までは古墳が残っていたそうです。


【本文より】

○天武天皇は、その出自を新羅の王族とする説が出るほど、新羅に近い天皇であった。壬申の乱を、天智天皇の実弟と第一皇子との皇位継承をめぐるものとする従来の説を否定し、新羅の勢力をバックとする大海人皇子と、百済の勢力をバックとする大友皇子との戦いとする大和岩雄氏の説(『古事記と天武天皇の謎』)は、きわめて説得力がある。この説が正しいなら、壬申の乱後、天武朝において、新羅の文物が多くの分野に入り込んだことは十分考えられることで、伊勢神宮も例外ではない。

安能務『封神演義(上)』(講談社、1998)

香港大学卒で旧軍での兵役経験ありとも称する伝統知識人、なおかつ儒家嫌いの安能先生が中国の通俗小説をサカナに好き勝手に語ったもの。

マンガになったことからこの封神演義が特に知られていますが、他の著作も読ませます。

殷の紂王にからむ仙人の描写にその価値観がにじみます。


【本文より】

「朕を天子と承知で、 平伏もせず、ぞんざいな口をきいておるのか?」
「人々は天子を尊び、われらは道(タオ)を尊ぶ」
「その道とは?」
「これが道だ、と言えるものはなく、名も形もない」
「ならば知りようがないではないか」
「いや、知る人ぞ知る」
「知って、なんとする?」
「老いず、死なず、煩いもない」
「それだけでは、楽しみがないではないか」
「混沌に身を任せ、自然と戯れる楽しみは、格別である」

宮城谷昌光『三国志 外伝』(文藝春秋、2014)

宮城谷三国志の補遺。韓遂、鄭玄、陳寿など人物を取り上げ語ったもの。

なかでも、「三国志」著者の陳寿を取り上げた部分が秀逸で、古代中国の史観、史家の誇り、知識人の魂が描き出されています。
陳寿の父は馬謖の副官として罪を受け、官を追放されて逼塞。しかし学問に志した息子陳寿のためツテを辿って高名の学者に弟子入りさせる。結局、官途には恵まれない陳寿であったが、晩年は晋に招かれ「三国志」を完成させる。


【本文より】

◯史家には、もともと、
「天職」
という思想がある。朝廷に任命された記録官が、史家というわけではなく、天命を承けた者だけが、本物の史家である。史家だけが天と問答をすることができる。

◯さずけられた治書侍御史という官は、法官であると想えばよい。この官にあって、陳寿が快適さをおぼえるはずはなかった。だが、不満を色に出すほど、かれの精神は幼稚ではない。黙々と勤務した。ただし同僚とのつきあいは良いほうではなかった。
― 偏屈な男だ。
と同僚からみられたことであろう。だが、たとえ同僚から白眼視されても、鴻鵠の志をもった者が、燕雀とたわむれているわけにはいかないのである。

アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』(2011、紀伊國屋書店)

アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』(2011、紀伊國屋書店)を読む。

アフガニスタン出身の在米編集者が自らの世界観の整理を兼ねてイスラーム世界史を述べたもの。

地中海世界と中華世界を繋ぐ交易圏だったイスラーム以前のミドルワールド(いわゆる「中東」)から説き起こし、ムハンマドの事績、ヒジュラ、正統カリフ時代、4代カリフとなるアリーの道のりと暗殺、党派分裂。

盛りだくさんの内容でどこから読んでも愉快ですが、特に初期イスラムの共同体(ウンマ)の理念とカリフのあり方、思想の違いからアリー党(シーア派)が分岐していく様子など、一般の世界史概説では軽く流されてしまうところを深く知ることができます。

当初、口伝あるいはメモ書きが残る程度だったクルアーン(コーラン)についても、この正統カリフ時代に順次整理がなされ、正典化されていきます。不明確な啓示は類推(のちのキヤース)によって整理され、厳格化。

ムスリムは飲酒を禁じられている、という一般的なイメージがありますが、これはムハンマドの初期啓示ではなく、二代カリフのウマルの類推によって定められたもの。

【本文より】
◯クルアーンは飲酒に対する刑罰を特に定めていなかったが、ウマルは類推によってその刑罰を導き出した。この場合の類推は以下のように行われた。すなわち、クルアーンは中傷という罪に対して鞭打ちの刑を定めている、人は酒を飲むととかく他人を中傷するものなので、飲酒に対する刑罰もやはり鞭打ちの刑であらねばならない、とウマルは断じたのだ。こうした類推(キヤース)に基づく論証は、後世のムスリム法学者が法判断の一つの典拠としてさかんに用いるようになった。
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