秋月龍珉『誤解された仏教』(講談社学術文庫、2006 / Kindle版 2014)

秋月龍珉『誤解された仏教』(講談社学術文庫、2006 / Kindle版 2014)

大御所、秋月先生が仏教本来の思想と現状とのギャップを解説したもの。日本式の葬式仏教とブッダの思想。ヒンドゥ教の輪廻の思想と仏教の無霊魂論。興味深いトピックが並びます。

仏教者と仏教学者との違い。解説者たる後者が仏道を説くことはできず、悟りを得た前者のみが仏道を説くことを許される、とはブッダの考えでもあったそうです。

臨済禅師(『臨済録』)が言われたとおり、答えは常に自己にあるという立場です。これを外に求めるといつまでも答えを見いだせず、ゆえに「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」という警句が出てきます。


【本文より】
◯仏教は無神・無霊魂論なのだから、「神も仏もあるものか」などというような仏も認めない。私はひたすら「摩訶般若波羅密多(悟りの智慧の完成)は仏道の第一義なり」ということだけを信じ、それだけを提唱する。

◯自我を「空」じると、すべてが自己になる。天地万物の自然も、他人も、いや敵でさえも、自己である。そうした「智慧」はただちに「慈悲(無限の愛)」として働く。それが「常不軽菩薩行」となる。ここに大乗仏教の真髄がある。そこには「争い」はない。他を生かす行と祈りがあるだけである。

◯禅仏教は、常に「即今・此処・自己」の立場だけに立つ。そして前世をいい来世を問題にするのは、絶対現在の心のゆるみだと自省する。

◯仏教では、学者が「真」を求め、道徳家が「善」を求め、芸術家が「美」を求め、宗教家が「聖」を求めるのも、すべて外にイデー(理念)を認めて求める限り「餓鬼」だと見る。

◯比丘はただ万事は要らず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける(良寛)

◯仏法には〈無我〉にて候

◯仏教の中にも、禅のように自己の外に絶対者を認めない教えと、親鸞教のように阿弥陀仏を立てる教えとがある。
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