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井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』(岩波書店、1981 ; 岩波文庫、1991)

井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』(岩波書店、1981 ; 岩波文庫、1991)

著者は慶応・文出身でのち慶大教授となったイスラームの第一人者。コーランの初翻訳や、研究のため20ヶ国語をマスターした天才ぶりで著名です。

本書ではイスラーム文化を概観する観点から、「宗教」「法と倫理」「内面への道」の3本立ての講義スタイルをとっています。2014年はイスラーム国が盛り上がり、研究者が表に出たりしていましたがどうもとっつきにくいものです。


ここでは「法と倫理」の項でキリスト教など「アブラハムの宗教」の枠組みで一神教が取り上げられており、その比較をみていくと分かりやすく読めました。

「神のものは神へ、皇帝のものは皇帝へ」という聖俗分離のキリスト教の発想は、すでに神の赦しを得たことで失楽園の原罪を持たないイスラームにおいてはそもそもありえず、徹底的な現世の肯定、改善へと向かっていきます。その現世肯定、改善のツールがイスラム法であり、個別具体的な事案に対してイスラーム法上の解釈を与えていくのが指導者の役割でありました。


【本文より】

○しかし、この興味深い ― というより意味深長であるはずの ― 人間の失楽園体験も、イスラームにおいてはキリスト教におけるような重みはもたされておりません。『コーラン』はそれをむしろ軽く扱ってしまう。すなわちアダムとイヴは、一旦は楽園を追い出され、地上に落とされますが、その後神に罪を赦されるのです。

「しかし(後に)アーダムは主から(特別のお情けの)言葉を頂戴し、主は御心を直して彼に向かい給うた。まことに主はよく思いなおし給う。主は限りなく慈悲ぶかいお方。」(2章35節)


○この意味でイスラーム法とは人間生活の正しいあり方に関する神の意思そのものを法的に体系化したもの、契約化したもの、構造化したものです。ですからイスラーム法は、全体として、命令と禁止の体系であります。神の意思とは要するに神の命令であり、その否定が禁止なのですから。ある一定の犯罪的状況を想定しておいて、それに一定の刑罰を当てはめるというのでは全然ありません。終始一貫して、何をせよ、何をするなという体系なのです。命令と禁止の体系です。
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