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大野晋『日本人の神』(新潮社、2001)

東大国文出身で学習院教授を務め、日本語の由来研究で知られる著者が日本における「カミ」の変遷に迫ったもの。

カミの語源、観念からホトケの輸入、神仏習合、国学におけるホトケの分離、Godの輸入、「カミ」という切り口で古代から現代までの日本文化の発展を追っており、たいへん興味深い研究です。(当時のはやりなのかはわかりませんが、古代日本語とタミル語の類似性についてもかなりの紙幅を割いておられます)


【本文より】

◯人々は罪を天地のカミに対する契約違反とは考えなかった。そもそもカミと人間とは契約によって結ばれたものではない。カミは人間に食糧を与えるという契約などは結んでいない。カミは奉献を受ける代償として、豊穣と安穏とを与える存在だった。

◯ここには行為についての「個人」としての自覚は全然問われていない。カミは罪について個人的戒律の違反を処罰することもない。風によって、川から海へ、海から地底へと罪をはらって行けば、それは失われると説いている。

◯ここにはまた、神と人間との間で約束をとりかわし、その約束を守るという契約の観念はない。個々の人間が自分の約束・責任を果たすことによって仕合せを得るという自己規律の観念もない。その裏には、人間は自然の成り行きとして生まれて来て、日本の自然の中でよしとされる明るい、清水のような心を持てば、食糧が得られ、繁殖行為を営んで死んでいく。それを繰り返すところに世界があるとする考え方がある。

◯日本の神話では、天地万物の他に、命令を下してそれをこの世にあらせた神はいない。混沌の中に大地が自然に出現し、その泥の中に葦の芽が芽ぶくように生命がなり出た。
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